【愛媛】別子銅山は幽霊が車に乗り込んでくる心霊スポット?朝鮮人労働者が関係している?

別子銅山

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愛媛県新居浜市にある別子銅山。


ここはかつて住友家が経営していた銅山で、住友が巨大財閥となるきっかけを作った場所である。


現在は、新居浜市の観光資源としてよみがえり、多くの観光客で賑わっている。

【住所】愛媛県新居浜市角野新田町3丁目13-13

別子銅山の歴史

本

別子銅山は1960年に発見されて以降、1973年までの282年間の間に70万トンものの銅を産出。


この時、住友家がこの別子銅山を経営していて、鉱業の事業により発展を続けていき、


最終的には、今や日本が代表する巨大財閥の一つとなった。


初めの頃は、陸地から1000メートル以上の高さのある山中に採鉱は存在していたが、


時代の流れに沿って新居浜市側へ移動し、山の様相も変わっていき、


坑道は全長700メートル、一番深いところでマイナス1000メートルもあり、


日本で人間が到達した最深部となった。


しかし、そんな別子銅山では、1900年に銅山川鉱毒事件を含む鉱毒事件が何回も起きている。


特に煙害に対しては、時に数千人の農民が抗議するほどまでに。


1973年に閉山したが、別子山村の合併によって観光地として姿を変えていく事となり、


最終的には新居浜市の新たな観光資源としてよみがえっていった。

別子銅山には怖い話がある

地面に映る影

一見、別子銅山には何もなさそうに見えるが、唯一怖い話として


別子銅山にやってきたとき、車のエンジンが掛からなくなり、困って外に出て人を探しに行ってからまた車に帰ってくると、何者かが車に乗っている


というものがある。


話自体はこれだけだが、車に乗っている以外にも、


車内に居る時にドアを叩かれて、外を見たらとんでもない人数の人間が四方八方で囲っていたという話までも。


特に事故や事件があったという事は無いこの場所では、摩訶不思議な体験談。


しかし、よく調べると、とある記事を発見した。

愛媛・住友工業別子鉱業所で朝鮮人労働者が亡くなっている

奴隷

1943年に軍需会社法の適用により、銅の増産をした。


しかし、人数が足りず、当時の朝鮮人労働者(連行者)を足りない労働力を補うために補充し、作業のスピードを上げるようになった。


その人数は236人で、ほとんどが北海道の方から移送されている。


戦時中に別子銅山で働いていた朝鮮人は200人いて、20歳前後の若い人が多かった。


朝鮮人の方が言う事を聞かなかった場合、現在で言うところの「体罰」にあたるようなことをしていたようで、


ヒモで体を叩き、それによって叩いた痕が浮かび上がっていたとのこと。


食事もまともなものではなく、常に空腹が続いていた環境があり、且つ残業も多かったことから、


中には仕事が辛くなって、トイレで自殺を図ってしまう人も出ていた。


実際のところの死亡者数は分からないが、


日本の敗戦から46年経った1991年に、旧別子山村の雑木林の中に、


朝鮮人の方の墓が3つほど見つかっているとのことで、


実際に朝鮮人労働者は多く居て、亡くなった人間も確実にいたということは間違いない。


しかし、「新居浜市史」、「別子山村史」、「住友別子鉱山史」の本があるのだが、


そこには、この朝鮮人の方々についての内容が一切記されていない。


つまり、朝鮮人の方々の強制労働に関しての情報、歴史を意図的に消したということになる。


このことから、別子銅山で起きる現象は、


恐らく当時の朝鮮人労働者の思念怨念なものが、別子銅山に残っているのではないかと思われる。

最後に

別子銅山で起きる心霊現象が、果たして何を意味するのかは分からないですが、


少なくとも言えるのは、


この別子銅山では、朝鮮人労働者に対する強制労働の歴史が実在し、死亡者も出ているということです。


もちろん、噂や体験談がどこまでが本当なのかにもよりますが、


今現在では、観光地として多くの人がやってくることは確かで、


新居浜市では重要な観光資源になっているのは、間違いありません。


なので、もし行くのであれば、


観光としてここへやってくるという方が確実でしょう。


あとは、亡くなった方々に対する合掌も併せてすることをしていただければと思います。

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