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【実話】幽霊船として有名になった船の事件6選!映画のモデルとなった船もあり!

幽霊船のイメージ画像

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あなたは「幽霊船」というものをご存知でしょうか。

 

幽霊船とはその名の通り、操縦する人間が誰一人居ない、または乗組員が全く居ない状態で海を航海している船のことを指します。

 

幽霊船と言われると都市伝説として片付けられ、

 

そんなものあるワケないだろ!

 

船が勝手に動いて海を航海しているなんて有り得ない!

 

と言われることが多いと思います。

 

しかしこの世界というのは不思議なもので、自分達が知らないというだけで、実は都市伝説の中でも実在しているものがあり、その内の一つがこの「幽霊船」なのです。

 

そして、世界各地で幽霊船は目撃されていますが、この日本でもまた海外から「幽霊船」と言われた事件が存在しています。

 

そこで今回は、実際に起きた事件を6つ紹介しながら、それぞれで「幽霊船」と言われた所以も共に解説していきたいと思います。

目次

世界の有名な幽霊船①神の怒りに触れて呪われたフライング・ダッチマン号

フライング・ダッチマン号のイメージ画像

まず一つ目に紹介するのは、幽霊船の中でも一際存在感が大きく、「呪いが掛かっている船」として有名であるイギリスの幽霊船「フライング・ダッチマン号」です。

 

フライング・ダッチマンというのは船の名前として付けられた訳ではなく、その船の船長をしていたオランダ人「ヘンドリック・ファン・デル・デッケン」に対して付けられた名称のようなものです。

 

実際の名前は「アムステルダム船」で、この船は通称として

  • 船長はさまよえるオランダ人
  • 船はさまよえるオランダ船

と言われることもあるようです。

 

このように言われる理由としては、船の船長をしていたオランダ人であるヘンドリック・ファン・デル・デッケンが航海中、海の神に対して罵る行為を行ったため、神からの怒りを受けることとなったのです。

喜望峰沖で神の怒りに触れて遭難

1751年に出航した「アムステルダム船」は現南アフリカ共和国のケープタウンへ向かって喜望峰近海(アフリカ大陸南端近く)を航海していました。

 

しかし、途中でテーブル湾へ入る寸前のところで嵐に会ってしまい、風が向かい風となって進むことが出来なくなります。

 

その際に船長であったヘンドリック・ファン・デル・デッケンは風を罵り、海の神の怒りに触れることに。

 

結果、ヘンドリック・ファン・デル・デッケンが操縦するアムステルダム船は、神の裁きを受けて呪われてしまいました。

神の許しを得るまで罰として永遠に航海を彷徨う

神の怒りによって呪われたアムステルダム船は、神たちからの攻撃を受けながらも強行突破をしようとして、最終的には岩に船が衝突して沈没してしまったと言われています。

 

1821年のブラックウッド誌(英語版)で書かれた内容になると、船が沈没する前、船がヘンドリック・ファン・デル・デッケンに対し、

 

「今夜のうちにテーブル湾に入るのか?」

 

と語りかけ、それに対してヘンドリック・ファン・デル・デッケンは

 

「最後の審判の日までに必ず入る」

 

と答えたそう。

 

沈没した際は当然のことながら、船員は船長含めて全員消えてしまいます。

 

消えた後は神からの罰によって、許しを得るまで海の上に居ることになり、今でもテーブル湾へたどり着くことなく永遠と彷徨っているということです。

映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」に登場する船のモデルとなった

この「フライング・ダッチマン号」がモデルとして出ている映画があり、それが「パイレーツ・オブ・カリビアン」です。

 

名前もそのまま「フライング・ダッチマン号」となっており、第2作の「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト」で初めてデイヴィ・ジョーンズが船長として、主人公であるジャック・スパロウたちの前に敵として現れます。

 

映画の設定では「海で死んだ哀れな魂を死後の世界へ運ぶという聖なる仕事が課されている船」となっており、最初の船長であるデイヴィ・ジョーンズは海の女神から海で死んだ魂を来世へと運ぶ任務を与えられ、10年間の間フライング・ダッチマン号の船長を務めることになります。

 

最終的にはジャックの仲間であるウィル・ターナーが、デイヴィ・ジョーンズの心臓を貫いて倒したことでフライング・ダッチマン号の船長となり、上記の任務を果たすべく旅立ちました。

 

映画の中でもしっかりとした「幽霊船」として描かれているため、フライング・ダッチマン号が現実に存在している場合の想像がしやすいと思います。気になる方は

  • パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト
  • パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド
  • パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊

の視聴をオススメします。

映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」はU-NEXTでも配信されているので、もし興味のある方はぜひ入会を検討してみてください。U-NEXTでは入会すると1ヶ月間の無料期間があり、この期間中に仮に退会した場合は料金を払わずに退会ができるのでお得です。※最近公開された映画だと無料ではない場合があるので注意してください

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世界の有名な幽霊船②メアリー・セレスト号集団失踪事件

2つ目に紹介するのは、実際に集団失踪事件が起きたことで有名になった「メアリー・セレスト号」です。

 

幽霊船を知っている方であれば必ずと言っていいほど名前が上がってくる船で、メアリー・セレスト号は1872年12月4日にアゾレス諸島付近にて発見され、発見時は誰一人船内におらず、また食料に関しても航海するには問題ないほどに残されていました。

 

なぜこのような事件が起きたのか、今でも真相は謎のままで迷宮入り状態となっています。

 

ここから、この「メアリー・セレスト号集団失踪事件」が起きた流れを詳しく解説していきます。

事件発生前のメアリー・セレスト号の状況

メアリー・セレスト号は1861年にノバスコシアのスペンサー島で建設され、当初は「アマゾン号」という名前でした。

 

特徴としては全長31メートル、重さが282トンのブリガンティン型(2本マストの帆船)となっています。

 

真相は定かではありませんが、アマゾン号が作られた時、数多の事故を起こすという曰く付きだったとのことで、事件が起きる前から不穏な空気が漂っていたようです。

 

事件前の出航時、乗っていた人間は

  • 船長の「ベンジャミン・ブリッグズ」
  • 船長の妻である「サラ・E・ブリッグズ」
  • ブリッグズ家の娘「ソフィア・マチルダ」
  • その他船員7名

の合計10人なっていて、これは1872年11月7日の時です。

1872年12月4日にアゾレス諸島付近でメアリー・セレスト号が発見される

11月7日に出航してから約一ヶ月後の12月4日に、アゾレス諸島の近海でカナダ船籍の「デイ・グラツィア号」によってメアリー・セレスト号が発見されました。

 

メアリー・セレスト号を発見した時は、デイ・グラツィア号の船員たちは「漂流しているだけで特に異常はないだろう」と判断しましたが、一応のために確かめる必要があるだろうということで、一等航海士のオリヴァー・デヴォーを中心に数隻のボートでメアリー・セレスト号へと向かいました。

 

しかし、いざメアリー・セレスト号へ着いてみると船全体が水浸しになっており、食糧保存庫も開きっぱなしの状態で、且つ方位磁石が壊れているという、異様な船内となっていたのです。

 

救命ボートも無くなっていて、船も故意的に放棄した跡がみられたのですが、それにしては食糧が航海するには十分な量で残っていたため、何故放棄することになったのか、当時乗っていた船長以外の船員の日誌は無かったことから全く原因が掴めませんでした。

 

船長の日誌に書かれている内容に関しても、最後の11月24日の日付で「アゾレス諸島の西方100マイルの海上にいた」ということだけだったので、特にこれといった原因となるようなことも記載されていません。

 

ただ、船内に謎の血痕と引っ搔き傷があったため、何も無かったとは言い切れないでしょう。

 

いずれにしろ証拠が無い以上は、真相は闇の中ですね。

1873年にスペイン沿岸で謎の救命ボート2隻が見つかる

12月4日にメアリー・セレスト号が発見されてから数ヶ月経った1873年初頭に、スペイン沿岸にて謎の救命ボート2隻が発見されました。

 

2隻のうち1隻には一人の遺体とアメリカ合衆国の国旗があり、もう一つのボートには5人の遺体があったそうです。

 

身元の確認が取れていないので分かりませんが、メアリー・セレスト号が発見されたときに救命ボートが無くなっていたことが判明しているので、この救命ボートがメアリー・セレスト号のものである可能性は十分高いと言えるのではないでしょうか。

 

その後メアリー・セレスト号は、所有者が変わりながら西インド諸島やインド洋を航海するために使用されることになります。

 

ところが、最後の所有者である「ギルマン・C・パーカー」が保険金目的で、ゴナーブ島付近のロシュロワ・リーフでメアリー・セレスト号を座礁させます。

 

ですが、最終的には保険詐欺がバレて捕まり、メアリー・セレスト号はそのまま廃船に。

 

廃船となった後のメアリー・セレスト号の残骸は、最終的に2001年8月9日に海洋冒険家のクライブ・カッスラーとカナダの映画プロデューサーであるジョン・デービス達によって発見されることとなりました。

「名探偵コナン 893話」でコナンがメアリー・セレスト号の名前を出している

2018年2月24日にアニメ「名探偵コナン 893話」が放送されました。

 

この回は「星付きレストランの謎」という題名の事件だったのですが、コナンたちが口石英吾という人物が経営する「クッチーナ・エイゴ」にやってきた際に、5人分の食事が並んでいるのに人が誰も居ないという奇妙な光景を目の当たりにします。

 

この際にコナンが、

 

「この光景はまるで19世紀に起きたメアリー・セレスト号の事件の時みたいだ」

 

と語り、これに対して小五郎が

 

「確か10人ほどの乗組員がそっくり消えちまって、船だけが漂流しているのが発見されたんだったよな。食事中だったと思わせるまだあったかいスープや遺留品があって…」

 

と言いました。

 

メアリー・セレスト号の名前が出てくるということを考えると、この事件自体が「メアリー・セレスト号集団失踪事件」を題材にしたものだと分かりますね。

テレビドラマ「金田一少年の事件簿 幽霊客船殺人事件」の題材になっている

名探偵コナンの第893話でメアリー・セレスト号の名前が出てきていますが、同じ探偵シリーズで有名な「金田一少年の事件簿」でもメアリー・セレスト号を題材とした作品があります。

 

それが「金田一少年の事件簿 幽霊客船殺人事件」です。

 

この作品はテレビドラマの第3シーズン(嵐の松本潤が主演)の第1話、2話で放送、アニメでは第28話~31話までで放送されています。

 

この作品はメアリー・セレスト号を題材にしていますが、作品中では「マリー・セレスト号」という名前で登場しており、マリー・セレスト号の怪談に見立てた連続殺人事件としてストーリーが展開されています。

 

つまりは「メアリー・セレスト号集団失踪事件を完全な事件として描いたらこうなるんじゃないか」といった作者の思惑があるのではと感じます。

世界の有名な幽霊船③良栄丸遭難事件

良栄丸のイメージ画像

3つ目に紹介する幽霊船は、日本の漁船である「良栄丸」です。

 

1926年に遭難をし、12名全員が死亡するという「良栄丸遭難事件」が起きました。最終的に良栄丸を発見したアメリカの貨物船「マーガレット・ダラー号」は、この良栄丸を「幽霊船」として扱いました。

 

この良栄丸に関しては、船長である三鬼登喜造の死の寸前まで船員が日記に状況を記録していた事もあり、なぜこのような遭難事件が発生したのかが明確に分かっています。

 

という訳で、ここではこの「良栄丸遭難事件」について深彫りしていきます。

1926年12月に千葉県銚子の沖で遭難

1926年12月5日に良栄丸はマグロ漁を行うため、神奈川県の三崎漁港から出港しました。

 

千葉県の銚子沖100キロメートルの海域でマグロ漁を行っていたのですが、12月7日の時に低気圧の影響で天気が悪天候に。状況的にまずかったため、三崎漁港へと戻ろうとしました。

 

ところが、12月12日に機関クランクシャフト(エンジンの構成部品の一つで、ピストンの往復運動を回転力に変えるもの)が破損してしまい、船がコントロール不能になったことで東方に流されてしまいます。

 

風は15日に収まったものの、この時には銚子の東1600キロメートルのところまで良栄丸は流されてしまい、挽回が不可能な状態にまでなっていました。

 

その後は救援を得ることが出来ず、ついに船長は今残っている食糧と漁獲した魚で4ヶ月間食い延ばしつつ漂流することを決意します。

12月26日にアメリカへの漂着を目指したが、3月5日に食糧が尽きる

漂流を決意してからも救援を得ることが出来かった良栄丸は、12月26日より船長の決断で、アメリカへの漂着を目指すことになりました。

 

アメリカへ向かうために東航している間、破損したクランクシャフトの修理を試みますが、残念ながら直る事はありませんでした。

 

そして、そうこうしているうちに3月5日の時についに残っていた食糧すべてが尽きることになってしまいます。

 

以降、海藻や魚、船に止まった渡り鳥などでなんとか食い繋ごうとしますが、栄養が取れなくなったことによって3月9日に細井機関長が死亡します。それ以降は乗組員が死亡していき、最終的に船長の三鬼登喜造と船員の松本源之助のみとなりました。

 

残った2人は栄養失調で動くことが出来ず、その状態で日記にその後の状況を綴りますが、1927年5月11日が最後の記録となってしまい、その日記には

 

「十一日 NNWの風強く浪高し、帆巻き上げたまま流船す。SSWに船はどんどん走っている。船長の小言に毎日泣いている。病気」(※恐らくローマ字のところは方角の事だと思います

 

と綴られていました。

1927年10月31日にアメリカ貨物船「マーガレット・ダラー号」が良栄丸を発見する

船長の三鬼登喜造と船員の松本源之助は最後の日記の数日以内に死亡したとされ、ミイラ化した2人と船員7名を乗せた良栄丸(残り3名は漂流中に水葬したと言われている)はそのまま東へ漂流、最終的に1927年10月31日にアメリカ貨物船「マーガレット・ダラー号」によって発見されることとなります。

 

良栄丸の調査はアメリカで行われ、その際に乗っていた船長の三鬼登喜造と船員の松本源之助のミイラ化した遺体は現地で火葬。

 

その他の船員たちの遺骨、遺品は遺族へと返還、良栄丸の船は遺族の意向によってアメリカで焼却処分されました。

世界の有名な幽霊船④船員、道具すべてが消えたキャロル・ディアリング号

キャロル・ディアリング号のイメージ画像

4つ目に紹介する幽霊船は「キャロル・ディアリング号」です。

 

1921年にアメリカ合衆国のノースカロライナ州ハッテラス岬沖で、キャロル・ディアリング号が座礁しているところを発見されました。

 

発見時に船内の調査が行われましたが、船員はおろか、そこにあるはずの道具ですらも全て消えているという異様な光景が広がっていました。

 

この事件が起きた要因が分からず、様々な憶測が出てきたのですが、結局真相は今でも謎のままとなっています。

ノースカロライナ州ハッテラス岬沖で座礁しているところを発見される

1919年にG.G.ディアリング社にて貨物船としてキャロル・ディアリング号は造られ、1年間の運用後1920年8月19日に石炭をバージニア州ノーフォークからリオ・デ・ジャネイロへ送るためにキャロル・ディアリング号は航海の準備を始めました。

 

この時のキャロル・ディアリング号の船員は

  • 船長のウィリアム・H・メリット
  • メリットの息子であるスーワル一等航海士
  • 他10名の船員

という構成となっていました。

 

8月22日にキャロル・ディアリング号は石炭をリオ・デ・ジャネイロに送るために出港しましたが、途中で船長のメリットが病気になってしまったため、デラウェア州ルイスのところで下船をしなければならなくなります。

 

下船することから新たなる船長を決めなければならなかったのですが、66歳のW・B・ワーメルをメリットの代役として船長に任命、息子のスーワルに代わってチャールズ・B・マクラレンを一等航海士として任命し、再出発することになりました。

 

その後キャロル・ディアリング号は無事に石炭をリオ・デ・ジャネイロで渡すことに成功し、補給のためにバルバトスへ寄港します。途中で一等航海士のマクラレンが船長であるワーメルに対して酒に酔いながら暴言を吐いたことにより逮捕されます。

 

ですが、船長であるワーメルは逮捕されたマクラレンを保釈し、キャロル・ディアリング号は1921年1月9日にハンプトン・ローズに向けて出港しました。

 

1月28日にキャロル・ディアリング号は灯台船の管理者であるジェイコブソン船長によって目撃され、その様子に対して不信感を抱いたのですが、無線機が故障していたために報告できませんでした。

 

灯台船の船長であるジェイコブソンが不審な動きをしていたキャロル・ディアリング号を見つけた3日後、ノース・カロライナ州のハッテラス岬沖で座礁しているキャロル・ディアリング号を発見。

 

すぐさま救助隊を編成して救出に向かおうとしますが、悪天候によって近づくことが出来ず、2月4日にようやくキャロル・ディアリングのところへ辿り着きます。

 

しかし、救出のため船内に潜入したところ、船長であるワーメルとその他船員、そして彼らの所持品や道具全てがそっくりそのまま何一つ残らず消えていることに気付きます。

 

ですが、厨房に食品が残っていたことから、食事の準備中に原因不明の何かが起きたのではないかと言われています。

 

その後キャロル・ディアリング号を別の場所へ座礁させようとしますが上手くいかず、航海の邪魔となってしまう可能性があることから、船底にダイナマイトを仕掛けて爆破し、キャロル・ディアリング号はそのまま海の中へと消えていきました。

アメリカ合衆国連邦政府がキャロル・ディアリング号の乗組員失踪事件を調査

キャロル・ディアリング号がダイナマイトによって海の中へ消えたのち、アメリカ合衆国連邦政府が本格的なキャロル・ディアリング号の調査を行うことになりました。この際は政府の5つの機関と、その他様々な省庁が動いた形となっています。

 

調査に当たっていた当時の商務長官ハーバート・フーヴァーは、今回のキャロル・ディアリング号が座礁した場所が、過去にあったイタリアの船「モンテ・サン・ミケーレ号」をはじめとした船たちが座礁した海域と同じところだったことに興味がそそられたそうです。

 

今回のキャロル・ディアリング号の失踪事件がなぜ起きたのか、様々な諸説が出ることになります。

それが、

  • ディーゼル船にキャロル・ディアリング号が追跡されて捕まったことによるもの
  • 巨大ハリケーンによる影響を受けて船員全員が船から避難した
  • 海賊によるキャロル・ディアリング号への襲撃
  • ソビエト共産党による陰謀
  • ラム酒密輸犯によるキャロル・ディアリング号の強奪
  • 当時のワーメル船長と一等航海士のマクラレンの対立による暴動
  • バミューダトライアングルフロリダ半島の先端、プエルトリコ、バミューダ諸島を結ぶ三角形の海域と見なされる海域で失踪

が挙げられました。

 

しかし、全ての諸説において明確な証拠が出ておらず、結局真相は不明となっています。

失踪事件のその後と結論

様々な諸説が出てからは、その後として色んな人物が今回の事件において関わりがあるのではないか?ということで調査をしますが、そのすべてが関係なかったとして処理されます。

 

そして、最終的に一般論として認められた説としては「キャロル・ディアリング号船内においての暴動」でした。

 

1921年1月23日を最後としてワーメル船長のサインが途絶えていて、この時に一等航海士であるマクラレンを中心としてワーメル船長を殺害。

 

殺害後はアメリカ合衆国近海まで航海してその後も順調に進みますが、船の永眠の場所として知られる「ダイアモンド・ショールズ」でキャロル・ディアリング号は座礁。

 

マクラレンたちは2隻のボートに乗り換えてキャロル・ディアリング号を放棄、陸まで向かおうとしますが途中で海の藻屑となって消える。

 

この流れが濃厚とされ、現代まで語り継がれているといった感じになっているようです。

世界の有名な幽霊船⑤謎の無線を送ってきたオーラン・メダン号

オーランメダン号のイメージ画像

5つ目に紹介する幽霊船は「オーラン・メダン号」です。

 

オーラン・メダン号に関しては幽霊船の中でもオカルト要素が強く、船そのものが謎の塊と言って良いでしょう。

 

ここではオランダ船の「オーラン・メダン号」とアメリカの商船「シルバースター号」が登場し、オーラン・メダン号からシルバースター号に入ってきた無線から始まる話となっています。

オーラン・メダン号からシルバースター号に対して謎の無線を送ってきた

1948年、シルバースター号に対してオーラン・メダン号から無線が入ってきました。

 

無線を送ってきたのはラビットという人物で、内容としては

 

「自分以外の人間が全員血を吹き出して倒れてしまった。至急救援を要請したい」

 

というものでした。続けて、

 

「自分以外の船員が『なにか』によってやられた。至急救援を頼む」

 

と言ってきたので、要請を受けたシルバースター号はすぐさまオーラン・メダンのもとへと急行。

 

オーラン・メダン号へたどり着いたシルバースター号は船内に入るのに少し苦労をしましたが、無事に潜入します。

無残な状態になっているオーラン・メダン号の船内

オーラン・メダン号の船内に突入をしたシルバースター号の船員は、その異様な光景に思わず身の危険を感じます。

 

なぜなら、あのラビットという人物の言う通り、オーラン・メダンの船員は全滅していたからです。

 

シルバースター号の船員たちはオーラン・メダン号の無残な姿を見た後、逃げるようにしてシルバースター号へ戻りました。

 

そして、シルバースター号へ引き返した直後、オーラン・メダン号から爆発音が響き、船はそのまま海の中へと消えていきました。

真相は完全に謎のままとなった

今回のオーラン・メダン号の事件の真相は一体何だったのか。

 

ラビットという人物から無線でシルバースター号に対して救援要請をしてきたことでシルバースター号はオーラン・メダン号の救出に向かいましたが、オーラン・メダン号の船員は無線の通り全滅していました。

 

しかし船員が全滅していたのは事実ですが、実はこの時オーラン・メダン号そのものは無傷だったのです。つまり、外部からの攻撃や異常気象によるものではないことが分かります。

 

ただ、最後にオーラン・メダン号は爆発したことから、有毒ガスが原因ではないかと言われていますが、海の中へ沈んでしまったために真相も同時に消えました。

 

おかしな部分を挙げるとしたら、そもそもラビットという人物以外が「全滅していた」ことに不信感が出てきますね。となると、この「ラビット」という人物が今回のオーラン・メダン号の事件の全てのカギを握っている可能性があります。

 

もっと言ってしまえば、そもそもラビット自身が「オーラン・メダン号の船員だったのか?」というところに関しても疑問が出ます。

 

むしろ、オーラン・メダン号を利用して、シルバースター号そのものを巻き込もうとしていた可能性もある気がします。もちろんあくまでも一つの説としてですが。

 

いずれにしろ、海の中へと消えてしまった以上は解明のしようがありません。

 

ちなみに、今回の事件に関して政府は「突発的な要因によってオーラン・メダン号は沈没した」としています。

世界の有名な幽霊船⑥行方不明の救命ボートが謎過ぎるバレンシア号

バレンシア号のイメージ画像

最後に紹介する幽霊船は「バレンシア号」です。

 

バレンシア号はアメリカの蒸気船で、当時は157人の乗組員がおり、バンクーバー島へ向けて出港していました。

 

しかし、往路に関しては特に問題なく走っていたのですが、復路で戻る際に船が座礁してしまうという謎の展開に。

 

普通に考えてみれば分かりますが、往路で問題なく行けているのならば、復路でも事故が起きるとは考えにくいですよね。

 

とすると、一体何故バレンシア号は復路の際に座礁してしまったのか。流れを解説していきたいと思います。

バレンシア号が悪天候に見舞われて座礁する

1906年1月20日、バレンシア号は乗組員157名を乗せてバンクーバー島へ出港しました。

 

この時の天気は快晴で、往路に関しては何一つ問題なく順調に進んで目的地であるバンクーバー島へ無事に到着します。

 

しかし、バンクーバー島から戻る際の復路で快晴だったのが突然悪天候へと変わり、戻る際に航海するのが困難となります。

 

そして、船の舵取りが利かなくなったバレンシア号は座礁し、その際に岩の間に挟まれて完全に動けなくなってしまいました。

救出を試みたが助かったのはたったの37名

救援要請を受けた救助隊は直ちにバレンシア号の乗組員の救出に向かいます。しかし、悪天候で波が荒れていたため、なかなかバレンシア号に近づくことができません。

 

近づけない間にもどんどん乗組員は波に飲まれてしまい、157名のうち120名の死者、最終的に救出できたのはたったの37名でした。(男性のみが生き残ったとのこと

 

この際に救命ボートが5隻使用されたのですが、5隻のうち1隻のみ行方不明になってしまいます。

 

そして37名の救出を終えたのち、バレンシア号は大波による影響で船が破壊され、そのまま海の中へと消えていきました。

バレンシア号が海に消えてから27年後に行方不明だった最後の救命ボートが見つかる

1906年にバレンシア号が海に沈んでから27年経った1933年に、実に不可思議な事件が起きました。

 

それは、27年前にバレンシア号の事故が起きた際に行方不明となった最後の1隻がブリティッシュコロンビアの海岸で突然見つかったのです。しかも、27年経っているにも関わらず無人状態、且つボートの状態が傷が全く付いていませんでした。

 

27年も経っているのならば、波の影響やその他の要因で船は傷んでいなければおかしいのですが・・・

 

そしてさらに不可思議なのが、最後の救命ボートが見つかるまでの数十年の間、海の中へ沈んだはずのバレンシア号が各地で目撃されていたのです。

 

まさしく「幽霊船」という名にふさわしい出来事ですが、事故や事件が起きた際は人々の念がその場に残ることは現実にあるので、バレンシア号を目撃した人たちは、恐らく悲惨な事故によって残った無念の想いが具現化したものを見たのではないかと思います。

旧日本海軍が海賊を駆逐した?

海賊のイメージ画像

ここまで世界各地で有名となった6つの幽霊船について紹介させていただきました。

 

ほぼすべての船に関しては、謎だけが残って解決せず迷宮入りとなっています。

 

そして、過去に実際にネットのニュースで話題となった事件があり、ここではそのニュースについて触れようと思います。

 

それは最近のYahoo!ニュースの記事にて、ソマリア沖を航海していた日本の船籍に対して海賊が襲いかかり、その際に旧日本海軍の駆逐艦が海賊を追い払って日本の漁船を助けたというものでした。

 

そして海賊を追い払ったのち、旧日本海軍と思われる駆逐艦はそのまま姿を消したということです。当然のことながら旧日本海軍は現在では存在していません。

 

にも関わらず現代に姿を現したというのは、世にも奇妙な物語であると言えるでしょう。

まとめ

今回は、世界で起きた有名な幽霊船の事件について書いてきました。

 

今回紹介した幽霊船に関しては、日本の「良栄丸遭難事件」以外は全て真相が明かされることは無いまま闇の中へと消えています。

 

どの船も、

  • 人が消える
  • 物が消える
  • 救命ボートが消える
  • 謎の無線が入る

など、何かしらの説明がつかないような現象が起きています。

 

一応幽霊船というもの自体に関しては他にもいくつかありますが、今回はその中でも有名になっていて、且つ映画やドラマの題材にされているようなものを中心に紹介させていただきました。

 

日本でも神隠しというものがありますが、それの船バージョンと言っても良いくらい、自分たちが理解し得ないような話がたくさんあるようです。

 

もちろん事件性も高いので、何かしらの形で世界に知られないように隠蔽していることも十分に考えられますがね・・・

 

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