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祟り神が祀られている3つの神社とは?祟り神信仰ってあるの?

平将門のイメージ画像

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全国各地に様々な神社があり、地域で信仰している神社もたくさんあります。

 

その中で、実は祟り神が祀られていて、且つ信仰も行われている神社もあることはご存知でしょうか?

 

今回は、全国でも有名な祟り神が祀られている神社を3つ紹介し、そもそも何故祟り神を信仰しているのか、その理由も解説します。そして、

 

稲荷神社でも実は祟りに遭ってしまうのではないか?

 

という疑問に対しても語っていきたいと思います。

祟り神が祀られている神社3選

御霊神社の鳥居の写真

全国各地に数多の種類の神社があり、中には祟り神を祀って信仰している神社もあります。

 

その中でも特に有名なところとして、

 

  • 平将門公(たいらのまさかどこう)を祀る神田明神(かんだみょうじん)
  • 崇徳天皇(すとくてんのう)、早良親王(さわらしんのう)、井上内親王(いのえないしんのう)を祀る御霊神社(ごりょうじんじゃ)
  • 菅原道真公(すがわらのみちざねこう)を祀る天満宮(てんまんぐう)、天神社(てんじんじゃ)

 

の3つがあります。

 

ここからはそれぞれの神社について解説していきます。

御霊神社(全国各地)

御霊神社は全国各地に点在しており、御霊神社は非業の死を遂げた人間を祀るためにあります。そして、ここで祀られている人間こそが祟り神とされているのです。

 

この御霊神社に祀られているのは、

  • 崇徳天皇(すとくてんのう)
  • 井上内親王(いのえないしんのう)
  • 早良親王(さわらしんのう)

です。

 

3人の人間が祀られていますが、この中でも特に早良親王は祟り神として有名なので、ここでは早良親王に絞って解説します。

 

早良親王は光仁天皇(こうにんてんのう)の息子で、能登内親王(のとないしんのう)と桓武天皇(かんむてんのう)の同母弟にあたり、761年11歳で出家します。定僧都を師匠として羂索院(けんさくいん)へ住み、768年には大安寺東院へと移り住みました。

 

その後770年に父である光仁天皇が即位したことによって早良親王は東大寺の運営の権限を実質支配できる立場になります。781年に兄である桓武天皇が即位し、兄が即位したことで父の薦めより早良親王は皇太弟として立太子されました。

 

途中で桓武天皇が平城京から長岡京へ遷都する出来事が起こりますが、特に問題なく時代は進んでいきました。

 

しかし、785年の9月23日夜に「藤原種継暗殺事件」という一大事件が発生してしまい、この際に

  • 大伴家持(おおとものやかもち
  • 五百枝王(いおえのおおきみ
  • 紀白麻呂(きのしろまろ
  • 大伴継人(おおとものつぐひと
  • 大伴永主(おおとものながぬし
  • 林稲麻呂(はやしのいなまろ

などが早良親王を担いだ謀反として認定されて、早良親王も事件に関わっていたとして長岡京の乙訓寺に幽閉されることに。

 

この事件に関して、実際に早良親王が関わっていたかどうかは不明。朝廷から10日間の絶食を命じられましたが、早良親王は耐え抜きます。そして淡路国に流される最中に早良親王は亡くなることとなりました。

 

早良親王の亡骸は流す先の淡路国で埋葬するように桓武天皇は指示。これにより早良親王は亡骸になっても自身の出身地へ戻ることはありませんでした。

 

ですが、早良親王が没した後、

  • 786年:桓武天皇が妻の藤原旅子の母「諸姉」が死去

788年:藤原旅子、皇后宮大夫の石川名足が死去して、その後に九州の霧島山が噴火

  • 789年:桓武天皇と早良親王の母である高野新笠が崩御
  • 790年:桓武天皇の皇后藤原乙牟漏が病没
  • 高津内親王の母の病没
  • 地震、飢餓、疫病、洪水等の自然災害が発生

という数多の事象が起きたことから、この事象の全てが早良親王による祟りではないかとされ、早良親王の怨霊を鎮めるために儀式を何回もしますが収まることを知りません。

 

そして、長岡京で立て続けに地震が発生し、射場にも怪奇現象が勃発するようになったことから、ついに長岡京から平安京へ遷都することを桓武天皇は決めます。

 

ですが、平安京へ遷都しても状況は変わらず災害が発生するという恐ろしい展開になりました。

 

実際、都を一つ潰してしまうほどの力を持っていたのは早良親王のみで、日本三大怨霊である崇徳天皇、平将門公、菅原道真公を上回る最恐の怨霊と認定されています。

神田明神(東京都千代田区)

次に紹介する神田明神は、平将門公を祀る神社になります。

 

平将門は学問の才能を発揮した人で、子供の頃は神童と称されるほど。大人になると朝廷を相手に戦をするなど、その能力はかなり高かったと言えます。

 

しかし、平将門は即位した数ヶ月後に討伐され、首を京都にて晒されることに。ですが晒されてから3日後、突然平将門の首の目が光って宙高く舞い上がるという恐ろしい出来事が。

 

その首は複数に分かれて落ちたとされ、そのうちの一つが現在の神田明神がある東京都千代田区大手町と言われています。

 

平将門の首塚がある場所では、過去に関東大震災が起きて首塚が崩壊した際に、様々な祟りが起こりました。

 

特に政府が大蔵省仮庁舎を建てようとした時と、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が駐車場を作ろうとした際にトラブルが起きて作ることが出来なかっという有名な話があるほど。

 

国単位に対して祟りを起こすほどの力が平将門にはあるとしたことで、現代に至るまで丁重に扱い弔われ続けています。

天満宮、天神社(全国各地)

最後に紹介するのは天満宮、天神社です。ここに祀られているのは菅原道真公で、彼は学問の神様として知られています。

 

しかし学問の神様というのは後の話で、今でもそうですが、菅原道真公は日本三大怨霊の一人として数えられているほどの人でもあるのです。

 

菅原道真公は平安時代の貴族で、幅広い分野においてその高い能力を発揮し、第59代天皇の宇多天皇の右大臣という地位まで上り詰めました。

 

しかし、その菅原道真公を良く思わなかった左大臣の藤原時平が彼を陥れて追い出す策を考えます。結果として菅原道真公を大宰府へ左遷することに成功。

 

菅原道真公は天拝山で自身の無実の証明がされることを祈り続けましたが、その祈りは叶えられることはなく2年後に没しました。

 

そして菅原道真公は左遷されてから2年間し続けた祈りが叶わず、無念という名の思念や怒りが溜まっていたことから、怨霊となって暴れまわることに。

 

菅原道真公が没したのちに都では、

  • 自身を左遷させるに至った関係者が次々に死亡
  • 当事者の藤原時平が蛇の化身となった菅原道真公の霊によって呪われて死亡
  • 朝廷が菅原道真公関係の書類を燃やそうとしたら燃え広がって建物にいた人間たちが死亡
  • 落雷による死亡が複数人

といった事件が連発。この光景に対して朝廷は「これは菅原道真の祟りであるに違いない」とし、菅原道真公の怨霊を鎮めるため北野の地に北野天満宮、道真公が没した地である太宰府に安楽寺天満宮(現:大宰府天満宮)をそれぞれ建てました。

 

この時は菅原道真公を怨霊としていましたが、今では元々持っていた高い才能を見て学問の神様として天満宮では信仰されることとなりました。

 

ちなみにですが、藤原時平が菅原道真公を大宰府へ左遷させた首謀者となっていることから、藤原氏を祀る春日神社関係のお守りを天満宮に持っていかないことが推奨されています。持っていってしまった場合、逆に菅原道真公から祟りを受けてしまうと言われているので、行かれる際は注意してください。

稲荷神社の祟りってあるの?

稲荷神社のイメージ画像

ここまで代表的な祟り神を3つ紹介してきましたが、同じくパワースポットとされている稲荷神社で祟りを受ける場合があるのかどうかが良く議論されています。

 

答えとしては実際に祟りを受ける事はあるとのことで、ここで少し稲荷神社での祟りについて語っていこうと思います。

 

稲荷神社において重要なのは、前提として他の神社にも言えますが、「神様を粗末に扱わないこと」です。

 

最近では稲荷神社に限らずですが、神社を管理する人間が居なくなり、神社そのものを掃除しなくなって汚れていってるだけのところが増えています。(これがのちに廃神社と呼ばれるようになってしまう)

 

当たり前の話ですが、その神社に住まう神様にとって管理者が居なくなって掃除されずに汚れていってるだけになった場合は居づらくなりますから、当然お怒りに。そこから更に信仰する人間が居なくなれば……ということです。

 

仮に祟りを受けるとなった場合、稲荷神社の場合だと狐が関係してくると言われています。理由としては神格化した狐は位が高い位置にあるとされているから。

 

ただ、中には悪い狐が入ってしまって見返りを要求してくるんだそうで、一回拝み始めたら永遠と拝み続けないと災厄が降ってくるとされています。

 

なので、稲荷神社でお祈りする場合は上記の点について注意する必要があると言えるでしょう。いずれにしろ、神社はしっかりと掃除して綺麗な形を保つことが重要ですね。

祟り神を信仰する神社がある理由

信仰のイメージ

祟り神はその名の通り、祟りを起こすとされていることから恐れられているわけですが、それでも祟り神を信仰しているところがある理由は何なのでしょうか。

 

それは祟り神、つまり怨霊ですが、その怨霊が起こす呪いの力があまりにも強いため、その力を逆に利用することで恩恵を授かろうという考え方が生まれたからです。

 

実際問題冒頭で挙げた3つの神社はそれぞれパワースポットとして有名で、多くの人が訪れています。

 

怒りを鎮めるために建てた当初は、とにかく鎮魂してもらうのに必死だったと思います。3つの神社に関しても朝廷が祟りだと恐れて神社を建てているわけなので、自分達の罪を認めているということですからね。

 

なので、こちら側に良い影響を与えてもらうまで永遠と拝み続けて、最終的にはパワースポットへと転換されていった、ということでしょう。

まとめ:祟り神が祀られている神社は3つある

今回は祟り神を祀り、信仰されている神社を3つ紹介してきました。

  • 早良親王
  • 平将門公
  • 菅原道真公

の3人はいずれも悲しい最期を迎えた人物で、それが呪いの力へと変わり怨霊となりました。そしてその呪いは都を移すまでになるほどであったりして、非常にその力は強かったと言えるでしょう。

 

今ではパワースポットということで、その呪いの力を逆にプラスの力に変えて、信仰する人間たちに与えています。

 

今回の怨霊たちに限らず現代でも同じことが言えますが、やはり自身が意図しないような亡くなり方をしたり、未練を残し無念な気持ちで自らの命を経った人はどうしても成仏されずに強い力でその場に魂が留まってしまったりします。

 

なので、そういった事件や自殺が多発しているような心霊スポットや場所でも同じように、安易に遊び半分で行くのは良くないと言えるでしょう。

 

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