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世界に実在した吸血鬼4選!日本の妖怪にも吸血鬼が存在する?

ドラキュラ伯爵のイメージ画像

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あなたは「吸血鬼」という存在をどう思いますでしょうか。吸血鬼と言われて真っ先に思い付くのは「ドラキュラ伯爵」でしょう。

 

ドラキュラ伯爵そのものは架空ではありますが、ドラキュラ伯爵のモデルとなった人物は実際に存在します。

 

また、モデルとなった人物だけでなく、それ以外にも歴史上で「吸血鬼」と呼ばれた人物が多く居るのです。

 

今回は、その中でも特に吸血鬼と呼ぶに相応しい人物を4人と、日本の妖怪の中にも吸血鬼とされる妖怪が居るので共に紹介していきたいと思います。

実在した「吸血鬼」と言われた人物4選

ヴラド3世の画像

吸血鬼のイメージでまず思い浮かぶのは「人間の首に嚙みついて血を吸う」ではないかと思います。

 

しかし、今回紹介する

  • ヴラド3世
  • エリザベート・バートリ
  • アルノルト・パウル
  • ペーター・プロゴヨヴィッチ

の4人は、全員人間の血を吸うというタイプではなく別の形で「吸血鬼」と呼ばれました。

 

ここでは上記の4人についてそれぞれ詳しく書いていくのですが、グロテスクな表現が入ってくるため、苦手な方は注意願います。

ドラキュラ伯爵のモデル「ヴラド3世」

最初に紹介するのは、ブラム・ストーカーの小説「ドラキュラ」に登場するドラキュラ伯爵のモデルとなった「ヴラド3世」です。ヴラド3世は15世紀のワラキア公国の君主で、通称「ヴラド・ツェペシュ」と呼ばれています。

 

「ツェペシュ」は名前ではなくニックネームで、ルーマニア語で「串刺し公」という意味があり、日本ではこの名前で呼ばれることが多いようです。そしてこのニックネームに恥じない残虐な行為を彼は行うこととなります。

 

ヴラド3世は1431年に父であるヴラド2世の次男として生まれました。当時ヴラド2世はハンガリー王国のドラゴン騎士団に所属しており、「ドラクル」という二つ名を持っていました。

 

1436年に父のヴラド2世はワラキア公となり、バルカン半島(東南ヨーロッパの物理的領域:ブルガリア全土を横断するバルカン山脈から名称がきている)に進出していたオスマン帝国と戦いを繰り広げていたのですが、1444年のヴァルナの戦いにてオスマン帝国に敗北。ワラキアはオスマン帝国に対して臣従することになります。また、この臣従によって息子のヴラド3世もオスマン帝国の人質となってしまいました。

 

オスマン帝国に臣従することになってから3年後、父のヴラド2世は兄のミルチャと共に暗殺されます。暗殺されたのちに、ハンガリー摂政兼トランシルヴァニア侯のフニャディ・ヤーノシュはダネシュティ家のヴラディスラフ2世をワラキア公に据えました。

 

ところが、ワラキア支配を目論むオスマン帝国からの支援を受けていたヴラド3世はワラキア公の座を奪い取ります。しかし、たった2ヶ月でヴラディスラフ2世に公位の奪還を許し、モルダヴィア公国、トランシルヴァニアへと亡命。その後、ヴラディスラフ2世の政策の取り方に不安を覚えたフニャディ・ヤーノシュの支援を受けたことでヴラド3世はワラキア公に再び就くことに。

 

1459年、ヴラド3世はワラキアの権力を掌握して完全支配することとなり、中央集権化(政府や王などの上の人間たちに権力を集中させること)をして、ワラキア公の直轄軍を編成。翌年にヴラディスラフ2世の息子のダン3世が侵攻してきますが、これを撃退。捕らえられたダン3世は斬首刑を処されます。

 

その後にオスマン帝国が、自身の国に対しての貢納をワラキアに対して1万ドゥカードにさせようとしてきたのですが、ヴラド3世がこれを拒否。ワラキア公国にオスマン帝国が使者を派遣したところ、ヴラド3世は無礼があったことを理由に使者を串刺しの刑にしてしまいます。

 

使者を串刺しの刑にしたのちにワラキア公国に対して幾度の侵攻がありましたが、多勢に無勢ながらもヴラド3世は様々な作戦を駆使して撃退します。

 

1462年にトゥルゴヴィシュテの戦いが起こり、その際にヴラド3世はメフメト2世の首を狙って夜襲を仕掛け、この時にオスマン帝国軍とブルガリア兵2万人を串刺しにして殺害。入城してきたメフメト2世はその光景を見た瞬間に戦意を完全に消失して、ワラキア公国から撤退しました。

 

この戦いで串刺しによる大量虐殺を行ったヴラド3世ですが、実際は敵国の兵だけではなく自身の国内においても罪人やヴラド3世に不遜な態度を取った人間に対しても串刺しの刑を行っていたようです。

 

串刺しの刑で死んだ人間の血を盃にして飲んでいた話があり、これがドラキュラ伯爵のモデル、つまり「吸血鬼」と呼ばれた原因になったのですが、これはあくまでも伝説であり、ヴラド3世に恨みを持っていた人間たちが印象操作で話を誇張しただけとのこと。

 

ただ、このような行いをした背景にはワラキア公国を恐怖支配し、自身に逆らえないようにするという目的があったため、いずれにしろ残忍極まりない国王であったことは間違いありません。実際に敵国の指揮官を震え上がらせて撤退させるほどでありましたから、その恐ろしさは伝説として今後も語り継がれていくでしょう。

究極の美を追求した血の伯爵夫人「エリザベート・バートリ」

2人目に紹介するのは、ハンガリー王国の貴族である「エリザベート・バートリ」です。

 

エリザベート・バートリは、当時トランシルヴァニア公国においてかなり強い力を誇っていたバートリ家に生まれました。エリザベート・バートリは幼い頃から感情の起伏が激しい性格で、かなり個性的な人間であったといいます。

 

もともとこういった性格ではあったものの、1575年にハンガリー王国のナーダシュディ・フェレンツ2世と結婚してから、その残忍さとも言える性格が本当の意味で現れることとなります。

 

ナーダシュディ・フェレンツ2世と結婚となった場合、通常であれば日本でいうところの苗字が変わるのですが、バートリ家はもともと高い権力を有していたこともあり、エリザベート・バートリは結婚した後でもそのままバートリ姓を名乗っていたとの事。

 

当時はオスマン帝国と戦争していたこともあり、夫であるナーダシュディ・フェレンツ2世は留守が多かったからか、エリザベート・バートリは夫が居ながらも多くの愛人を持っていて美に対しても執着心が強かったそうです。ですが、それでも夫婦仲に問題は無かったと言われています。

 

ところが、夫がまだ生きている時から裏でエリザベート・バートリは犯罪に手を染めていたと言われており、夫が亡くなってからその犯罪行為がどんどんエスカレートしていきました。

 

内容としては、

  • 若い娘を「鉄の処女」で殺害してその血を浴びる※鉄の処女:女性の形をした、中が空洞になっている人形で内部に大量の釘が付いている
  • 拷問器具で指を切断してその表情を楽しむ
  • 娘の皮膚を切り裂いたり性器を取り出す
  • 遺体を細切れにして血を取る
  • 娘たちから集めた血を浴槽に入れて浸かる

など残忍極まりなく、まさに異常と言える犯罪行為を彼女は捕まるまでに600人以上という人間に対して行ってきました。その理由としては、若い娘の血が若返りの薬なのではないかと思ったことによって始まったとされています。

 

ちなみに「若い娘」としていますが、その対象は身分の低い者だけではなく貴族の娘にも手を出すなど、若い娘ならば身分関係なしに殺害していたようです。彼女の犯罪行為に役人たちは気づいていたとされていますが、高い権力を持つバートリ家の人間であることから告発はしなかったみたいです。

 

しかし、1610年に殺害目的で誘拐した一人の娘が脱走し、彼女の告発によってエリザベート・バートリに対して捜査が行われ、1611年の裁判でエリザベート・バートリはその犯罪行為を認めました。彼女の証言によると先ほどの内容以外にも若い娘の肉を食べるという行為もしていたとのこと。

 

エリザベート・バートリは裁判のあと通常であれば死刑にするところですが、家系が家系であったために死刑には出来ず、自身が過ごしていたチェイテ城の寝室に完全隔離、幽閉状態にするという形を取りました。その後3年半ほど生き続けて1614年8月21日にエリザベート・バートリは死亡。

 

エリザベート・バートリが若い娘たちから血を取りまくって若さを保とうとしたことから彼女は「吸血鬼」と呼ばれることとなり、今でも史上名高い連続殺人者として語り継がれています。

世界で初めて公式に認められた吸血鬼「ペーター・プロゴヨヴィッチ」

今まで紹介してきたヴラド3世とエリザベート・バートリは大量殺人を行ってその血を浴びたというところから「吸血鬼」と呼ばれたり、ドラキュラ伯爵のモデルとなっているのですが、ここから紹介していくのは世界が公式に「吸血鬼」として認めた人間たちになります。

 

まず紹介するのは、世界で初めて「吸血鬼」として公式に認められた「ペーター・プロゴヨヴィッチ」という人物です。

 

ペーター・プロゴヨヴィッチは、セルビア領のラーム郡キシロファ村に住んでいた農民で1725年に死亡したのですが、彼が亡くなってから1週間の間に9人の村人が殺害されるという事件が起こります。

 

その事件を起こしたのがペーター・プロゴヨヴィッチ本人と言われており、死亡したあと墓に埋葬をしたはずでしたが、彼が村人たちの前に現れて9人の村人を絞殺したというのです。しかも殺害されたあとの村人たちの体がひどく衰弱していたとのことで、当時は全くもって原因が分かりませんでした。

 

そして彼が亡くなった10週間後、教会の教区司祭がやってきて今回の事件の真相を暴いていく事になります。

 

いざペーターの墓を掘り返してみると、遺体に腐った様子は無く生きていた当時の状態のまま維持されていました。

 

しかし彼の身体をよく見てみると、

  • 毛髪、ヒゲ、爪が伸びている
  • 古い皮膚が剥けて新しい皮膚が出来ていた
  • 口内が血まみれになっていた

という、死人にも関わらず普通に考えて有り得ない状態となっていました。

 

そして村人たちは、彼の状態を見て「これがヴァンパイアだ!」と叫び、教会司祭が見守っている中ペーターの心臓に杭を打ちます。すると大量の血が噴き出し、村人たちは「この血が9人の村人たちから吸った血である」と主張。その後にペーターの遺体を火葬して事件は解決し、この事件がヨーロッパ中で話題になりました。

 

実際にペーターが人間の血を吸っている現場を誰も見ていないのでなんとも言えませんが、遺体を見た際に死体特有の臭いが無かったり外観がきれいであったことから「本当は死んでいなかったのではないか?」と疑問視する人間が居たことも事実。いずれにしろ摩訶不思議な事件であることに変わりは無いでしょう。

吸血鬼となったセルビアの傭兵「アルノルト・パウル」

最後に紹介するのは、先ほど紹介したペーター・プロゴヨヴィッチ事件が起きた2年後に世間を騒がせた吸血鬼「アルノルト・パウル」です。アルノルト・パウルはセルビアの傭兵で、この人物もまた国家が正式に「吸血鬼」と認めた人物となります。

 

時は1722年、当時セルビアの傭兵であったパウルはある日、戦場で吸血鬼に襲われて自身が吸血鬼となって呪われてしまいます。その呪いから解放されるため、パウルはあろうことか吸血鬼の墓に盛られた土を食べました。

 

この行動が結果的に呪いから解放されるに至ったのですが、不幸にも彼はある時干し草を運搬していた車から転落してしまい、首の骨を折って死亡。パウルの死亡後、彼の遺体は墓へ埋葬されました。

 

ところが彼が埋葬されてから約1ヶ月後、村人や家畜たちが突然何者かに襲われ、4人の村人と複数の家畜が死亡。その犯人が1ヶ月前に亡くなって埋葬されたはずのパウルだというのです。

 

事件の報告を受けて村人たちはパウルの墓へと向かい彼の遺体を掘り起こします。すると彼の遺体は

  • 遺体となってから40日経過しているのに腐敗していない
  • 棺桶の中が鮮血であふれている
  • 皮膚や爪が新しくなっている

という状態で、まさに先ほど紹介したペーター・プロゴヨヴィッチの遺体の状態と完全に一致していたのです。この頃はペーターの事件が起きて世間を騒がせたのちの話なので、村人たちは対策法を知っていました。

 

その方法に従い、パウルの心臓に杭を打ったところ、うめき声を上げながら全身から血があふれ出しました。その結果から彼も吸血鬼なってしまったのだと分かり、ペーターの時と同様、遺体を火葬して事件は解決に至ります。

 

しかし解決したと思われたこの事件は、別の形で再び引き起こされる事となります。

 

1726年にパウルの心臓に杭が打たれたのですが、同年から5年後、パウルが吸血を行った家畜の肉を村人たちが食したところ、合計17名の村人が死亡するという事件が。この事件に国が総力を挙げて調査に乗り出します。

 

軍医が死亡した17名の遺体を確認したところ、遺体の状態がパウルの時と全く同じであったのが12名居たそうです。このことからこの12名はパウルの時と同様、吸血鬼化したと判断されました。

 

12名の遺体はパウルの時とは違い、心臓に杭を打つ方法ではなく首を切り落とすという方法が用いられました。切り落としたあとはそのまま火葬し、これで完全な事件解決へと至ります。

 

この事件で分かった事としては、吸血鬼が吸血した物を食べると、食べた人間も同様に吸血鬼になってしまうところですね。まるでゾンビのようです。

 

このような事件が実際に起き、国が公式に「吸血鬼」と認めた背景を考えると、当時は村人たちもかなりの恐怖だったのではないかと思います。

日本の吸血鬼と呼ばれる妖怪

神社の怖いイメージ画像

これまで世界で有名になった吸血鬼について紹介してきましたが、日本にも実は妖怪の中で吸血鬼と呼ばれるモノがいます。それが、

  • 磯女いそおんな
  • 飛縁魔ひえんま

です。

妖怪には数多の種類が存在し、基本的には「鬼」というイメージがあります。しかし、この2つの妖怪に共通しているのが「男を惑わすほどの美しさ」を持っていること。

 

ここではそれぞれの妖怪について解説していきます。

吸血鬼を行う妖怪①磯女

磯女は様々な呼ばれ方があり、

  • 磯姫
  • 海姫
  • 濡れ女
  • 海女房

など。

特徴としては名前の通り、この世に似つかないほどの美しさを持ち、海に居るとされています。長崎県にその伝承が残っているそうで、磯女は近くにやってきた漁師たちをその美しさで魅了して、引き寄せられたところを襲ってその者の血を吸いつくしてしまうと言われています。

 

ちなみに血を吸う時は自身の持つ、黒く長い髪の毛を使って犠牲者の体にまとわりついて毛から吸うんだとか。

 

ある地域ではその伝承より、海岸を歩く際はどんなに美人がいても近づいてはいけないと戒められているそうです。

 

特徴の中に上半身は人間だが下半身は幽霊の様にぼけていたり、蛇の姿をしているというのがあるため、仮に美人を見つけても外観を見れば事前に気付けるかもしれませんね。

吸血を行う妖怪②飛縁魔

飛縁魔は別名で縁障女と呼ばれる妖怪。飛縁魔はもともと仏教から生まれた言葉で、女の魅力に惑わされたことで自身を破滅に導くことになった男に対して使われる言葉だそうです。

 

妖怪としての飛縁魔は、外観は凄く美しいが中身は夜叉のように恐ろしく、自身の魅力に吸い寄せられた男の精気、血を取りつくして殺してしまうと言われています。

 

本当のところはそうなのか不明ですが、逆に言えば美しい女に惑わされて己を見失ってしまえばすべてを失うというところから生まれた言葉ともいえるので、これは現代においても重要な考えではないかと思います。

 

いずれにしろ、この妖怪たちはその美しさを利用して近づいてきた者の生き血を吸いつくしてしまうので、男性にとってはなかなか防ぐのは難しいところですね・・・

吸血鬼は現代にも存在している

吸血鬼のイメージ写真

吸血鬼事件が起きているのは300年近く前の時なのでなかなか実感が湧かないところではありますが、実は現在、イギリスでは1万6000人、アメリカでもかなり少ないですが「吸血鬼」として暮らしている人間が居るのです。

 

イタリアでも「イタリア吸血鬼協会」という組織があるほどで、こちらでも約2000人以上いるとされています。

 

吸血鬼となれば生きている人間から血を吸うのだろうと思ってしまいますが、実際はそうではなく、ドナーとなる人間から血を分けてもらったり、互いの血を交換して飲む、というやり方だそうです。

 

ただ、相手の血を飲むこともあり、飲んだことで病気にならないように、そのための細かなルールが設定されているとのこと。

 

ちなみに彼らのほとんどが自身が吸血鬼ということを隠して生活しているそうで、実際に巡り合うのはかなり難しいんだそうです。

 

しかし彼らは人間の血をエナジーと考えていて、適切な形で分けてもらって飲んでいますから、こういった人間達もいるのだと知ることは大事かと思いますね。

まとめ

今回は世界に存在した「吸血鬼」を紹介してきました。吸血鬼と言われても血を吸うタイプだけではなく、大量惨殺で血を浴びるというところで呼ばれた人間も居ました。

 

しかし、300年ほど前とは言っても実際に村人の血を吸ったり、吸われたあとの家畜の肉を食べた人間たちが吸血鬼となってしまったりという事件がありましたから、今ではドラキュラ伯爵を中心として吸血鬼は高貴なイメージが持たれてはいるものの、当時は恐怖でしかなかったはず。ちなみに高貴なイメージを吸血鬼に対して持っているのは日本人だけらしいです。

 

日本においても吸血鬼関係の事件は無いものの、日本に伝わる伝承の中で吸血鬼と分類されている妖怪がいました。その特徴は外観の美しさなので、何も分かっていなければいとも簡単に血を吸われて死んでしまいますね。

 

そして現代でも吸血鬼として生きている人間達も世界各地で存在しているということが分かり、改めてこういった変わった人間達もいることを再確認できました。

 

吸血鬼というのがどのように伝わっていくのか、今後も注目されます。

 

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