宇治の橋姫の伝説って何?橋姫神社についても解説します

橋姫のイラスト画像
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日本の妖怪のほとんどは悪事を働いたり人間に危害を加える話が多いのですが、中には妖怪を守り神として祀っている地域があったりします。

 

橋姫」という妖怪もそのうちの一つで、橋姫は外敵からの侵入を防ぐ橋の守り神として、昔からある大きな橋を中心に祀られていました。

 

しかしこの橋姫、実は「宇治の橋姫」という伝説があり、この伝説がかなり怖いのです。

 

そこで今回は、この宇治の橋姫の伝説について詳しく解説し、橋姫に深く関係する「橋姫神社」についても触れていきたいと思います。

妖怪としても有名な橋姫とは?

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橋姫は冒頭でもお話ししたように昔は敵が侵入してくるのを防ぐため、古くからある大きな橋に橋姫を祀り、守り神として信仰されていました。

 

しかし一方で橋姫は嫉妬が激しく、自身の居る橋ではない橋を褒めると恐ろしい目に遭ってしまうと言われています。なので、昔の人々は橋姫が守る橋以外では褒めないように気を付けていたそうです。

 

ちなみに、橋姫は橋の守り神として祀られているというのが一般的ですが、別の説として実は橋姫が人柱となった女性を表したものであるという話があります。

 

もしかしたら、この話があったことによって宇治の橋姫の伝説が作られたのかもしれません。

 

橋姫が祀られている橋としては、

  • 宇治川の宇治橋
  • 大阪市にある淀川の長柄橋
  • 滋賀県にある瀬田川の唐橋

の3つがあります。

 

この中で特に宇治川の宇治橋に関しては、恐ろしい伝説があるので、次からこの伝説について紹介していきます。

宇治の橋姫伝説のあらすじ

驚く女性のイラスト画像

宇治の橋姫の伝説は「平家物語」に登場するもので、これは「嫉妬の鬼」と言われた橋姫を描いた伝説になります。

 

のちに紹介する「丑の刻参り」の原型となった人物でもあり、ある女性に猛烈な嫉妬心を抱いたことから始まるのですが、これがまた実に恐ろしい。

 

そんな恐ろしい伝説である「宇治の橋姫」についてここから語っていきたいと思います。

ある娘が貴船神社に赴いて祈りを捧げる

嵯峨天皇の時代、貴族の娘がある女性に猛烈な嫉妬心を抱き、貴船神社へ赴いて貴船大明神に「私には妬ましい人物がいる、その者を取り殺すために私を鬼神に変えてほしい」と祈ります。

 

明神は彼女の祈りに対してこう告げます。

 

鬼になりたいのであれば、格好を変えて宇治川に21日間浸かり続けなさい

 

娘は都に帰ったのち、

  • 髪の毛を5つに分けて角を作る
  • 顔に朱色を付ける
  • 全身に丹を塗って赤くする
  • 鉄輪(鉄の輪に3本の脚を付けたもの)を逆さにして頭に乗せる
  • 鉄輪の3本の脚と松明の両端の合計5ヶ所に火をつける

といったことを行い、鬼になるための修行を続けました。そして21日間宇治川に浸かり続けたことでになったのですが、修行の中で夜が明けた時に大和大路を南へ入っていく姿が鬼に見え、その光景を見たことで死んでしまった人がいたそうです。

娘は鬼神へと変化して多くの人間を殺していった

そして鬼になった橋姫は自身が妬んでいた女性を殺し、その後に女性の親戚やその夫の親族、最終的には無差別となって殺しまくりました。

 

鬼になったあと姿を変えられるようになったようで、男性を殺す時には女性へと姿を変えたりしていたとされています。

 

しかし、もともとは嫉妬心を抱いた女性のみ取り殺すはずであったにも関わらず、最終的に無差別に人を殺しまくるようになったのは、鬼という名の妖怪になったことで自制心が無くなってしまったのでしょうか。

渡辺綱に腕を斬られる

橋姫の鬼の噂が広まったのか、源頼光の家臣である源綱は、橋姫に襲われても対処できるように鬚刀(にげきり)を持って一条大宮へと向かっていました。

 

その帰り道に一条戻橋を渡る際、南へ向かってお経を持っている20代程の美しい女性が歩いているところを見掛けます。

 

夜の道は危ないので五条のところまで送っていきましょう

 

綱は乗っていた馬から降り、女性を馬に乗せて南へ向かって歩いていきました。正親町の手前まで来た時、

 

都の外に家があるので、そこまで送ってもらえませんか

 

と言われたので、綱はそれを了承します。しかし、女性はその瞬間に本性を現して鬼へと姿を変えて綱の髪の毛を引っ張りながら愛宕山へ向かって飛び去りました。

 

綱は気付いていたのか、驚くことはなく携えていた鬚刀で鬼の腕を斬り落とします。鬼は愛宕山へと腕が斬られた状態で向かっていき、綱は斬り落とした鬼の腕を頼光に渡し、頼光は安倍晴明に預けて腕を封印させました。

橋姫は呪いの儀式である丑の刻参りの元となった人物

丑の刻参り

出典:Wikipedia

橋姫は物語の中で最初に貴船神社へお祈りしに行っていますが、貴船神社は呪いの儀式である「丑の刻参り」の発祥の地と言われており、その儀式の元となったのが橋姫と言われています。

 

丑の刻参りとは、神社の神木に藁人形を釘で打ち付けて相手を呪うというものです。

 

しかし、橋姫が貴船神社に行ったのはになるためであり、誰かを呪うためではありません。実際に呪うのではなく普通にそのまま人を殺していますしね。

 

恐らく橋姫が鬼になる際に行った修行が、丑の刻参りの原型を作ったのかもしれません。

 

ただ、藁人形を使った何かをしている訳ではないので、真相は不明ですね。

丑の刻参りの発祥の地「貴船神社」について詳しく書いている記事はこちら

心霊スポット【京都】貴船神社・奥宮は丑の刻参りの発祥の地?その怖さとは?

橋姫神社とはどんな神社?

橋姫神社

橋姫の伝承を残す神社として「橋姫神社」があり、この橋姫神社は宇治橋を守る神社と言われています。

 

この橋姫神社は瀬織津媛(せおりつひめ)を御祭神としており、宇治橋の西詰に祀られていました。しかし、1870年に大洪水が起きて流れてしまい、現在は場所が変わっています。

 

橋姫神社は縁切りの神社としても有名で、多くの人がお参りに来るとのことです。

橋姫と茨木童子の関係性について

女の鬼のイラスト画像

先ほど宇治の橋姫の伝説について解説した中で、一条戻橋にて橋姫の鬼に遭遇した渡辺綱が鬼の腕を斬ったという話がありましたが、ここで登場する鬼が実は橋姫ではなく、酒呑童子の手下で有名な「茨木童子」であるという説があります。

 

これに関しては真意は不明となっていて、実際に同一だったのかどうかは定かではありません。

 

ただ、渡辺綱が鬼をこらしめる時に鬼となった橋姫、そして茨木童子と闘った時に、両方とも鬚刀で同じように腕を切り落としています。さらに、その後に腕を取り返されるという展開も同じようにあるのです。

 

そういったことから、宇治の橋姫に登場した鬼は茨木童子だったのではないかという推測が立てられているようです。

まとめ:宇治の橋姫伝説によって守り神よりも鬼のイメージが定着している

今回は「橋姫の伝説」について記事を書いてきました。橋姫は宇治川の宇治橋を中心に橋を守る守護神として祀られています。

 

しかし、丑の刻参りの原型となった橋姫は、猛烈な嫉妬心によって鬼になって数多の人間を殺したという伝説が残っていることから、今では「橋姫=恐ろしい妖怪」というイメージが定着しています。

 

なのですが、その代わりに縁切りの力が強いとして橋姫神社に多くの人がお参りをしにくるという事実もあるので、悪縁を切りたい人は一度この橋姫神社にお参りしてみてはいかがでしょうか。

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